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2024年5月16日~2024年6月15日締切分
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特選1
金魚売水の匂ひを残しゆく 大久保佐貴玖
私の幼い頃には、大阪の下町にあった峠の実家のクリーニング屋近くの裏路地に「金魚え~、金魚」
と間延びした調子で、桶に入れた金魚を天秤棒に担いでやって来る金魚売の声を聴いた記憶がある。
今の時代には聞くことの出来ない昭和のノスタルジーを感じる季語である。まだ、若い作者が実際に
聞いたのかどうかは分からないが、文芸作品である俳句では事実か虚構かはあまり重要ではない。
新しく俳句を始める人には、五感で詠むということを話すことがある。視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚である。
この句では、金魚の入った桶の水の匂いという臭覚を詠んでいる。拙句に「火のにおひ残し繞道祭果つる」
があるが、臭覚を詠んだ句は珍しい。
これからの写生句は、金魚ならば赤いだろうとか、暑い夏には涼しさを感じるだろうとかの先入観、
常識を捨て、出来るだけ発想を広げて作句してもらいたい。
特選2
漁具漁網叩き洗ひて夕立去る 田島もり
大雨で漁が休みの日の浜に置かれた漁具や漁網を大夕立が叩いて去った光景を詠んでいる。作者は
以前にご主人の竹四さんと共に志摩に住んでいたことがあるので、その頃のあまたの経験をもとに詠まれた句なのだろう。
掲句のような瞬間の激しさを詠む時は、「叩きて夕立去りにけり」とすると間延びしてしまうので、「夕立去る」
と言い切る方が効果的だ。漁具魚網は漁具漁網とし、漢字を統一した。
特選3
キリン舎を出て来ぬキリン五月雨るる 阪野雅晴
キリンと言えば、「かつらぎ」人はすぐに峠句「冬空やキリンは青き草くはへ」を思い出す。
この句ももしかすると同じ神戸の王子動物園での作かも知れない。
青空の下で、アフリカの大草原の草を食むキリンは、おそらく雨が嫌いなのだろうと思う。
非常に単純化された句だが、「五月雨るる」という季語の感覚が非常に良く出ている。
難しい言葉を一切使わず詠まれていて、読者に余意余情を感じさせることが出来ている。
秀逸1
【51】桟敷より身を乗り出して蛍待つ 田島かよ
おそらくは、貴船の川床のような桟敷からの蛍狩の様子を詠んだ句であろう。 中七の「身を乗り出して」という表現によって臨場感が出された。机上では出来ない写生によって得られた一句であろう。
秀逸2
【52】峠師にお知らせしたし水鶏啼く たなかしらほ
峠は、水鶏が好きで私も一度琵琶湖の方へそのためだけに連れて行かれたことがある。 記念大会での純也氏の蜃気楼の話と同じく、峠は水鶏が啼いたら教えてくれと言っていたのだろう。
秀逸3
【69】走り梅雨聖天さんへ坂は急 小西俊主
6月9日の宝塚聖天での「峠忌俳句大会」の時の句であろう。動詞を一切用いず詠まれていて切れが良い一句だ。 「聖天さんへ」という中七も親しみがあって良い。
秀逸4
【75】むき出しの庫裏の大梁夏炉焚く 古谷多賀子
大寺の庫裏、つまり台所を思う。高い天井に横に渡された太く大きな梁は、夏炉を焚いた煙と油で 真っ黒になっていることだろう。スケールを感じる一句である。
秀逸5
【84】甲山仰ぎて吾の峠の忌 村手圭子
もし、「甲山仰ぎ峠の忌なりけり」では取れない。「吾の」の一語によって句が輝いた。 「私の峠先生」という強い主情が句を生き生きとさせたのだ。まさに実感写生であると思う。