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精子発見のメスの銀杏です。小石川植物園の大木は殆ど、切り倒された由ですが、このメスの銀杏は、のこぎりでは切り倒されず残った由。
何と、メスの銀杏の枝から精子が発見されたとのことです。
青木昆陽は、この地でサツマイモの栽培実験を行い成功。江戸庶民の飢饉を救った由です。
御薬園の薬草はほとんどが枯れ始めてましたが、木槿(むくげ)だけが盛りのようでした。木槿の花が薬になるとか。
小石川植物園はもとは江戸幕府の薬園でした。その当時からの薬草なども栽培されています。
メンデルが実験に使用した由緒あるブドウ。枝を接木し、今では大きなブドウ棚になっています。現地のメンデルのブドウは枯れてしまったので、この枝が里帰りして感謝された由です。
10月14日(土)晴天に恵まれての吟行でした。万有引力を発見したニュートンの家のリンゴ、その枝の接木とか。
終活というほどではないが、書架を整理していると、31年前、平成4年12月発行の「アサヒグラフ」別冊が出てきた。「平成俳壇・歌壇」がタイトルで、俳壇の中に「新主宰者の前景・伝統九誌」という特集がある。 そこに峠師が登場、「師を語る」のテーマで、青畝師の精神を分析している。平成4年は峠師が主宰を禅譲されて2年後。峠師は、青畝師の俳句観について「季語の持つ季感を第一と考え、芭蕉と虚子とは俳句精神において一致するとの極めて実作者的なものである」と分析。さらに「子規に始まる写実ではなく、芭蕉にも見られる写実精神を受け継ごうとしているのではないか」と論述。 作風について「先生は楷書から行書を経て草書へと変わるかのように、徐々に作風変遷し、今日の自由無碍の境地に到達された」としたうえで「だれが見ても伝統俳句だが、それでいて今までにない新しい俳句である。≪伝統の新≫という矛盾した言い方は、先生においては決して矛盾ではない」と結論付けている。 これを読んで、いま純一郎主宰が常に、口を酸っぱくして言っておられる「自分の眼で見た新しい句」こそ、この「伝統の新」ではないかと思った次第である。
渡口行雄 様貴重な資料が再発見されましたね!今や古典ともなった青畝先生の俳句の宜しさが改めて再認識されます。青畝先生がライフワークとされた「四季選集」、もっともっと、学ばねばと思います。四季選集、かつらぎ選集、新かつらぎ選集と続く、伝統の心を大切にしたいと思います。
渡口様貴重な資料のご紹介、また「かつらぎ」の俳句の真髄について深くご理解をしていただき、感謝致します。今日は、俳人協会の俳句大賞の最終選考会が本部でありました。激しい議論のやり取りもありましたが、無事に終了し、蜻蛉返りで帰阪します。明日は11月号の最終校正日です。
渡口様もうひとつ。遠矢主宰だった檜紀代先生のご逝去の報を聞きました。狩行先生が特に目をかけていた人だったと今日東京でも聞きました。時代は変わるとは言え、先人の功績は讃えるべきです。心よりご冥福をお祈りいたします。俳人協会関西支部長として
いい話ですね!こういう文に出会うと気がうきうきします!毎日、句に接する時間を多く、感性を育てなくてはと思います!
はい、「遠矢」から「くぢら」に移った人がいて、その人が檜先生の追悼句を出していると聞いて、ご逝去を知りました。檜先生からは毎月1回、近鉄文化サロン阿倍野教室の俳句講座で、指導を受けました。実に的確で、かつ厳しく、また温かい教え方でした。俳号の由来となったピノキオを思わせる童心もお持ちでした。「遠矢」の終わり方も、「すべて自分とともに終了」という潔いもので、俳誌廃刊と同時に、各地の「遠矢」がらみの教室は一斉に閉鎖となりました。先生の第1句集「呼子石」(昭和56年発行)をいま、読み返して、面影をしのんでいます。
秋の花は色が濃く感じます。菊・コスモス・そしてこれはホトトギスです!暖かい日の中にみんな冬囲いが初まりました!タイヤ交換、ジョンバ用意とか少々の鉢を家に入れる!
紫水 様北海道の杜鵑草(ホトトギス)、空気が澄んでいるせいか、とても綺麗ですね!冬支度、詠んでみてください。生活の中に俳句の種が散らばっていると思います。ご健吟をお祈り致します。
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